労働者日々の戦い 日通労働者連絡会で団結
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名もなき労働者です。ITオンチのわたしが、このブログを立ち上げねばならなかった背景をお察しください。



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どこまで反省がなく組合費を無駄遣いするのでしょうか? 全日通労組
3月25日(金)午後1時10分、大阪地裁611号法廷で、待ちに待った判決が言い渡されました。
主文「○○円を支払え!」
その時、梅川さんは勝利を信じていましたが、思わずガッツポーズ。
多くの支援傍聴者が来られていたので、場所を大阪労働者弁護団事務所に移し、報告集会をしました。
私、成田の司会で、まず、即法廷でもらった判決文を梅川さんと私が全文を読み、森博行弁護士から解説をいただきました。
「認定額は請求額の半分で訴訟費用も半々負担だが、実質的に全面勝訴。裁判官は『申し合わせ』でエルダー(再雇用=組合員)になればとたんに被選挙権が無いのは規約上からおかしいと判断。仮にエルダーに再雇用されなかったとしても、たった1日だけで立候補の権利を奪うことは違法だと主張してきたが、そこは判断していない。被告全日通労組が控訴するなら「梅川に問題があってエルダーに採用されないこともある(採用される蓋然性はない)と主張するしかないだろう。」
元出向SD日通復帰者に対する差別を闘う支援者から、裁判して勝利する可能性や闘い方について質問があり、力強いアドバイスがありました。
果たして、その後、往生際の悪い全日通労組は控訴をして来ました。どこまで反省がなく組合費を無駄遣いするのでしょうか?!そんな金があるのなら、東日本大震災の被災者に、組織としてカンパしてはどうなのか?!

控訴期日が決まりましたら、すぐにニュース等でお知らせします。

(解説)
09年の秋、梅川さんが2年に一度の組合役員選挙に出馬。組合は「任期最終日の前日に定年退職するので資格がない」として、08年と09年の支部大会で“一日足らず”になるよう任期を決めたことを根拠に受け付けを拒否。また、告示を立候補締め切り後に知らせ出馬させなかった。恣意的な立候補の妨害、組合の根本的なあり方を問う裁判。


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日本通運Nippon Express  奈良王寺アスベスト補償裁判 が 勝利!
日通Nippon Express  王寺アスベスト補償裁判 が 勝利!

判決は、来年2011年3月30日(水)午後1時10分、大阪地裁1010号法廷で言い渡されました。
支援の傍聴者や取材陣が押し寄せ、傍聴券の抽選となったため法廷内に多くの方々が入れなくて外で見守る中、判決が言い渡されました。
2~3分して、法廷から勢いよく出てきた支援者が「勝利!勝利!」と喜びの第一声。
大きな拍手が沸き起こりました。
そして、大勢の支援者が来ていましたので、場所を大阪労働者弁護団事務所に移し、報告集会が持たれました。
判決の主文は、「(1)日通社内規程にある弔慰金2800万円は棄却 (2)日通・ニチアスに対し安全配慮義務違反で妻が1300万円、子二人が夫々650万円の損害賠償を認める。(3)裁判費用は責任割合で会社7、原告3を負担」でした。7割勝ったということになります。
まず、原告である妹さんから「2002年春に父が中皮腫とわかり、それから9年間、目の前が真っ暗になることが何度もありました。その度に立ち上がり歩くことができました。父の姿が前へ前へと導いてくれたからです。会社は責任が及ばないように額をどう減らそうかに終始していましたが、弁護士さんの書面、応援の方々を心強く思っていました。」
お姉さんは「裁判を始めるめで3年かかりました。父は安らかな最期ではありませんでした。「あとは頼む」と。アスベストで殺され、企業のやりとりで辛かったことが一生なくならないで続きます。皆さんが共感して下さったからここまで来れました。」
そのあと、尼崎アスベスト裁判を闘う遺族から「あとに続く、他人事ではない、涙が出るほどうれしかった、勇気をいただいた。」と言葉があり、そして、奈良ニチアス元社員、泉南アスベスト裁判、日通元SD差別、全日通労組立候補の自由侵害裁判、の夫々闘う方々から、ねぎらいの言葉や報告があり、その後の記者会見に臨みました。その模様は多くのマスコミから取材があり、たくさん報道されました。


日本通運Nippon Express  尼崎アスベスト裁判 第10回口頭弁論 の報告
  Nippon Express 尼崎アスベスト裁判 第10回口頭弁論 の報告

3月10日(木)午前11時から神戸地裁尼崎支部3階1号法廷で、第10回目の口頭弁論が開かれました。

尼崎安全センターの塩見さんから、その報告がありました。

(裁判の近況状況について)
クボタ・日通Nippon Express は、被害者らが石綿を取扱った当時、アスベストの運搬業務は法的に対策を行なう必要はなかった、また危険に対する予見可能性はなかった、運搬作業が粉じんを大量に吸い込む作業ではないとを主張しています。この主張は一貫して変わりません。
しかし原告側は今後追加書面を出す準備をしております。内容は三井倉庫労働者の石綿被害者が地裁、高裁で企業責任を明らかにしたことを引用するようです。(2011・2・26神戸新聞記事をご覧下さい)。これは三井倉庫が石綿の取扱は公益性が高く、一番は国の責任、次は荷主の責任、そして倉庫業はその次に責任がある。また労働者が曝露したと考えられる当時(1960年頃)、じん肺法で定められた粉じん曝露業務に石綿の管理、積みおろしなどの作業は加わっておらず、予見可能性はなかったと主張する内容を否定した判決となっており、日通労働者の石綿曝露内容と多くの共通点があります。三井倉庫が法律に書かれていることや通達内容だけを遵守していれば良いと主張することに対して、裁判所はアスベストの危険性の指摘はその当時の法律でわかっており、曝露する環境を認識していただのだから危険を取り除くことが必要と判断したことと解釈できます。
企業は金、被害者は命を軸に闘っていることを表す内容と感じられました。

(次回日程について)
2011.5.26(木) 11時~ 神戸地裁尼崎支部


東日本大震災で被災した朝鮮学校への支援の輪が韓国で・・・
 東日本大震災で被災した朝鮮学校への支援の輪が韓国で広がっている。韓流俳優や映画監督が支援の会をつくり、月1回のチャリティー公演を1年間続けようと準備に奔走。ソウルの高校では生徒会の呼びかけで募金活動や学用品の寄付が行われた。

 震災で、映画監督の金明俊(キム・ミョンジュン)さん(41)の頭にはすぐに在日同胞が浮かんだ。金監督は、2003年秋から1年半、北海道の朝鮮初中高級学校で生徒たちと寮生活を共にしながら、映画「ウリハッキョ(わたしたちの学校)」を作った。

 ネットで、被災した仙台市の東北朝鮮初中高級学校の写真を見つけた。壁にはひびが入り、窓ガラスは割れ、建物内は足の踏み場もない。「力になりたい」と朝鮮学校と縁がある韓国の知人らに電話をかけた。

 その一人が、韓流ドラマ「冬のソナタ」で知られる俳優の権海孝(クォン・ヘヒョ)さん(45)。02年、南北交流事業で訪れた北朝鮮の金剛山(クムガンサン)で朝鮮大学校(東京都)の学生と出会ったのを機に、何度も日本に行き、朝鮮学校支援の集会に参加してきた。

 金監督に賛同して支援グループを立ちあげた。愛称は「ちびた鉛筆」。「最後まで大切にし続ける」との思いを込めた。

 権さんは「民族の言葉と文化を守ってきた在日同胞に、韓国でも心を一つにする者がいることを伝えたい」と話す。27日にソウルで初のチャリティー公演をし、司会を務める。

 ソウルの建国大学付属高校では、生徒会が約175万ウォン(約13万4千円)の義援金や学用品を集めた。新聞で朝鮮学校の状況を知った3年生の徐在輝(ソ・ジェヒ)さんが「同じ民族の仲間を助けたい」と呼びかけた。生徒会長の康晋赫(カン・シンヒョク)さんは「実際に朝鮮学校を訪れ、交流してみたい」と話す。

 東北朝鮮初中高級学校では被害の少ない寮で授業をすることにし、12日の入学式で韓国での支援の動きを紹介した。尹鐘哲(ユン・ジョンチョル)校長(50)は「だれも望まなかった震災だが、支援の輪が広がり、学校が発展する契機になれば」と話す


Nippon Express 日本通運とニチアスに賠償責任 元日本通運社員、吉崎さん遺族が勝訴
 「勝訴です」。30日午後、約60人の原告支援者が詰め掛けた大阪地裁。傍聴席に入れなかった人たちに知らせがもたらされると、拍手が沸き起こった。ニチアス王寺工場で荷受けをしていた奈良市の元日本通運社員、吉崎忠司さん(当時67歳)が中皮腫で死亡し、遺族が起こした損害賠償訴訟の判決は両社の責任を認めた。遺族は「主役は亡き父。その思いが前へ前へと導きました」と涙した。
 吉崎さんが中皮腫を発症したのは、日通を定年退職した4年後の01年ごろ。現職時代の勤務が原因と考えられたため、本人は現職社員並みの扱いを受けると思い交渉した。ところが、日通側に拒否されたために憤慨、落胆しながら亡くなった。長女の中島真由美さん(46)は「後を頼むと言われ、父の意志を感じました」と振り返った。
 会社相手の裁判は、遺族にとってもつらいものだった。しかし、次女和美さん(43)は「勝たせてあげたかった。父がとろうとしていたアクションは間違っていなかった」と静かに喜んだ。「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」の古川和子副会長は「石綿企業最大手のニチアスの責任が認められたことは全国的に大きな一歩」と話した。






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